すべてのソフトウェア開発者にとって英語ができることが重要なのはなぜか

投稿者: | 2013年11月12日

(Tumblrからの転載です)
(これはWhy knowing English is important for every software developerの翻訳です。)

まず、私はこのポストを英語で書くべきかロシア語で書くべきか迷った。ある考え方だと、これは十分に英語ができない人に向けた文章なのでロシア語で書くべきかとも思う。その一方、ロシア出身ではなく英語ネイティブでもない友人が私には沢山いるし、そういう人たちだって私がここに書く考えをながめることに興味があるだろうと思われる。そしてここでは後者の考えを採用することにした。このブログポストは、すべてのソフトウェア開発者にとって少なくとも中級レベルの英語ができることがとても重要だと私が考えるのはなぜかについてのものであり、非口頭のコミュニケーション(読み書き)と口頭のコミュニケーション(会話)を含めて述べている。

自分をやりくりする方法として

日常で英語を使わなくても全く問題ない人(ソフトウェア開発者)を私は沢山知っている。彼らは母語に翻訳された本(大抵は電子版ではなくて紙の本)を読み、地域化された(翻訳された)ソフトウェア(例えばロシア語版のWindowsやVisual StudioやSQL Serverなど)を使い国内のコンテンツアグリゲータやニュースポータルからニュースを読み、もし困ったときは国内のコミュニティ(地域化されたドキュメントやQ&Aサイトやフォーラムなど)に目を向ける。それは全く問題ないし、普段は完全にうまくいく。しかし、このことの短所も見てみることにしよう。

まず翻訳された本について考えてみよう。一番の問題点は、翻訳が市場に出回るまでに時間がかかることだ。私の友人の一人が最近Jon Skeetの「C# In Depth 第2版」翻訳を買ったが、私は(ほとんど同時期に)その第3版を買った。第2版の内容がもうすでにひどく時代おくれというつもりはない。しかし最近のテクノロジーの進化はとても早いので場合によっては紙の本を出版する意味すらないことがあるかもしれない。紙の本を出版していたのでは本が売り出される頃には変更や追加が沢山あって次の版を書き始めなければいけないかもしれないからだ。もうひとつの問題は、翻訳者が主題について十分な理解がないかもしれないし、新しい言語に知識を適切に投影できないかもしれないということだ(例えば、「C# In Depth 第2版」については翻訳の品質について多くの苦情を聞いている)。

次に地域化されたソフトウェアについて考えてみよう。翻訳された本を買う理由は理解できる一方、私が全く理解できないのはなぜソフトウェア開発者が専門的なソフトウェアの地域化されたバージョンをインストールするのかということ(例えば.NETエンジニアがロシア語版のVisual Studioを使うこと)だ。一番大きな問題は、地域化されたエラーメッセージしかないのだとしたら、特定のツールやフレームワークに関する問題(例えば.NETの変な例外や、プロジェクトのビルドの失敗など)の解決が困難になってしまうことはよくあることだ。オリジナルのドキュメントは常に地域化版より良くできているし、その上、Stack Overflowのようなサイトは大きく時間を節約してくれるし神経細胞の節約にもなる。

自分を表現する方法として

ここで重要なことを言う。英語で自分を表現する能力は、周りの人があなたの専門技能のレベルを判断する可能性に直接影響するということだ。このことは私自身が個人的に体験したことでもあるし、横で見ていて観察したことことでもある。私が以前いた会社では、遠隔地にいるウクライナ人のグループと一緒に仕事をしていた。Skypeでのミーティングは頻繁にあり、そこでは次のイテレーションの計画をしたり、現在抱えている問題についての議論などをしていた。そのウクライナ人の中にはまともに英語を話せる人はいなく、私の同僚が彼らとどのようにコミュニケーションをとってるか(ボイスチャットだけでなくメールでも)を私は知っていた。そのウクライナ人たちは、熟練したプロフェッショナルというよりは経験の浅い開発者のように扱われているように見えた(基本的なことがいつも確認され、リーダーやマネージャーによる厳しい管理が普通であったなど)。面白いことは、彼らには十分に能力があることがわかったことだ。彼らと私はロシア語で会話することができるので、彼らには十分な知識があって、今やっていることについて十分な経験があることがわかったのである。私の見解では、プロフェッショナルな開発者としての彼らの印象が悪くなったのは彼らの英語のせいだ。しかもこれは唯一の例ではなく、同じようなケースをたくさん見てきた。

ポール・グレアムが最近、人をYコンビネータに受け入れることができないときの理由について目立つことを言った。文字通り彼が言ったのは「悪いことを示す一つの資質は、CEOが強い外国語なまりであることだ」ということだ。彼の言ったことに反対する人もたくさんいる(彼の言ったことに人種差別的な匂いを見出す人すらいる)のだが、一般的には彼は正しいと思う。私が投資家だとしたら、なぜ自分のアイデアを少なくとも誰にでも理解できるように的確に説明できない人に信頼して自分のお金を預けることができるだろうか。英語がひどい開発者についても同じ論理を当てはめることができる。もし自分の考えを適切な専門用語を使って表現できなければ、だれもそんな人をアーキテクトやチームリーダーとして雇おうとはしないだろう。

いま何をするべきか

ここまでを読んできて自分のことを考えたなら、自分の英語を向上する必要があることがわかったと思う。ここでは何かを提案するするつもりはない。人によってうまくいく手法が違うと思うからだ。字幕付きの映画を見るのがいい人もいるし、授業を受けて先生から習ったほうがいい人もいる。もしネイティブな英語話者と話す機会が毎日(あるいは毎週、毎月)あるのならば素晴らしい、それはとても役に立つだろう。私は個人的には少しずつ英語のコンテンツに移っていった(地域化されたソフトウェアをアンインストールする、国内のニュースチャンネルからThe VergeTechCrunchHacker Newsなどに移るなど)。




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